
横浜地方裁判所は2026年5月14日、救急隊が安否確認のために玄関扉を破壊した行為を「真にやむを得ない行為であった」と評価しました。
一方で、新型コロナウイルスという「疾病」を契機とした本件では、横浜市が主張した消防法36条8項が準用する29条1項による違法性阻却を認めず、横浜市に25万9600円の支払いを命じました。
通報者(居住者の義姉)の了承があっても、建物所有者への賠償責任は否定されませんでした。なお横浜市は控訴しており、確定した判断ではありません。
「破壊する必要があったか」と「その破壊をどの法的根拠で正当化できるか」は、同じ問題ではない。
横浜地裁令和8年5月14日判決の概要図。2022年2月23日、新型コロナ自宅療養者の安否確認で救急隊が玄関扉をバールで開放したが室内は不在。請求28万8200円に対し25万9600円を認容。消防法36条8項が準用する29条1項は疾病による人命救助を対象としないと判断。横浜市は控訴中
横浜地方裁判所 令和8年5月14日判決の公開判決文を基に作成
この記事でわかること
- 救急隊はなぜ玄関扉を破壊したのか
- 裁判所はその判断をどう評価したのか
- なぜ消防法29条1項が認められなかったのか
- 家族や通報者の了承があれば破壊してよいのか
- 29条1項と3項はどう違うのか
- 病気と、けが・事故では考え方が違うのか
- 現場では何を確認して破壊を判断すべきか
- 本文では、【判決】=判決書から確認できる事実と判断、【法律解説】=条文等に基づく一般的な解説、【筆者の考察】=筆者の現場経験に基づく整理、を分けて表示します。
なぜこの問題が気になったのか?
救急現場では、ときに「鍵」が傷病者との間を隔てます。
私自身、子どもが車内に取り残されたインロック事案や、病気やけがを契機に自宅内で動けなくなり、玄関が内側から施錠されたままの事案を経験してきました。
先着すると迷います。壊して入るべきか。それとも、もう少し待つべきか。
中の状態は見えません。脳卒中や心停止であれば、時間の経過そのものが傷病者の不利益になり得ます。一方で、玄関扉も窓も自動車のガラスも他人の財産です。
消防法29条を根拠にできるのか。病気でも使えるのか。転倒なら違うのか。家族が「壊してください」と言えば足りるのか。警察や管理会社を待つべきなのか。
現場で調べる時間はありません。だからこそ、平時に論点と判断手順を整理しておく必要があると考えています。
【判決】横浜の事案では何が起きたのか
原告:マンションの所有者2名(持分各2分の1の共有)
被告:横浜市
通報者:703号室居住者の義姉
通報内容:「新型コロナウイルス陽性で自宅療養中の703号室居住者に数日間連絡が付か ない」
請求の根拠:国家賠償法1条1項による損害賠償請求権、又は消防法29条による損失補償請求権(151万4500円のうち28万8200円を請求)
時系列(令和4年2月23日)
時刻 判決が認定した経過
午後2時頃 119番通報を受け救急隊が出動
午後2時15分頃 建物に到着。703号室から応答なし
その後 エントランスのオートロック扉を、可動側扉を解錠し、常時固定側扉のかんぬきを 外して建物内へ
その後 玄関扉が施錠され立入りが困難なため、702号室の共用廊下側面格子を703号室の窓と誤認してねじを外す。702号室居住者から窓越しに声をかけられ誤認に気付き、元に戻す
その後 703号室居住者や管理会社などに電話連絡を試みるが、いずれもつながらない
その後 出場指令から1時間が経過していたことなどから、通報者から「本人に請求させるので構いません。」と玄関扉破壊の承諾を得る
午後3時05分 バールで玄関扉のデッドボルト付近をこじ開けて開放。室内に居住者はいなかった
午後3時15分頃 引揚げ。オートロック扉の常時固定側扉のかんぬきは元に戻さなかった
居住者がその時どこにいたか、居住者と原告らの関係(賃借人かどうか)は、判決書では明示されていません。
【判決】横浜市に25万9600円の支払いを命じた
主文は、横浜市に25万9600円と、令和6年11月19日から支払済みまで年3%の遅延損害金の支払いを命じ、その余の請求を棄却しました。訴訟費用は原告ら10分の1、被告10分の9の負担です。第1項には、送達から14日経過後の仮執行宣言(被告は各10万円の担保で免れることができる)が付いています。
損害項目 金額 判断
703号室 玄関扉交換費用 22万9900円 認容
オートロック扉 修理費 2万9700円 認容(かんぬきを戻さなかった過失)
オートロック扉 調整費 2万2000円 相当因果関係なしとして棄却
702号室 面格子修理費 6600円 補修を要する不具合なしとして棄却
合計 請求28万8200円 認容25万9600円
オートロック扉については、かんぬきを外したままにすれば開閉に伴い不具合が生じ得ることは「当然予見できる」とされ、元に戻す義務がなかったとはいえないと判断されました。
ここは現場活動上、見逃せません。「中へ入れたら活動終了」ではなく、開放・解除した設備を元に戻すところまでが活動の一部です。
【判決】最大の争点は消防法29条1項
横浜市は玄関扉の破壊について、「消防法36条8項が準用する同法29条1項により違法性が阻却される」と主張しました。
消防法29条1項は、消火、延焼の防止または人命の救助のために必要があるとき、消防吏員または消防団員が、火災が発生せんとし、または発生した消防対象物等を使用・処分・使用制限できると定めています。36条8項は、29条等の規定を「水災を除く他の災害」について準用しています。
裁判所は「疾病」を災害と区別した
火災などの災害が発生した場合、広く公共の危険を招くおそれがあることから、これら災害対象物及びこれらのものの在る土地を使用することなどについてその違法性を阻却する規定と解され、本件における救急隊員らの出動のような、新型コロナウイルスという「疾病」により人命の救助が必要になった場合を対象としたものということはできない。
理由として裁判所は、消防法2条9項が救急業務の定義で「災害による事故等」と「災害による事故等に準ずる事故その他の事由で政令に定めるもの」を区別し、消防法施行令42条が後者に「疾病」を定めていることを挙げました。これは「『疾病』が『災害による事故等』に含まれないことを示すもの」だとしています。
横浜市は「消防組織法1条の『災害』には疾病が含まれるから、36条8項の災害にも含まれる」とも主張しましたが、裁判所は、両法の趣旨目的は異なり「災害」の定義を同一に解すべき理由はないと退けました。
ここから、「救急業務の対象であること」と「消防法36条8項の災害に該当すること」は同じではないという問題が浮かびます。
【判決】それでも破壊そのものは否定されなかった
この判決で最も重要な部分です。
本件において703号室居住者の安否を確認するために救急隊員らが玄関扉を破壊したことは真にやむを得ない行為であったということができるが、だからといって、703号室居住者の生命に何らかの危険をもたらしたわけでもない原告らが、その所有する財産(703号室の玄関扉)を何の補償もなく破壊されることを甘受すべき立場にあったということはできず(以下略)
なお横浜市は「原告らは賃貸借契約に基づき居住者に修繕費を請求できるから損失はない」とも主張しましたが、現に支払いを受けた証拠がないとして退けられています。
【法律解説】「家族が壊していいと言ったから大丈夫」なのか
本件で破壊を了承したのは通報者である義姉、損害賠償を請求したのはマンション所有者でした。
傷病者 ≠ 通報者 ≠ 居住者 ≠ 財産所有者となる場合があります。
そのため、「家族や通報者の了承を得たから財産上の問題もすべて解決する」とはいえません。ただし、判決が「家族の同意には意味がない」と判断したわけでもありません。承諾の法的効果は、判決では正面から論じられていません。
現場では、誰が所有者か、誰が居住者か、誰から了承を得たか、その人はどういう関係者か——を可能な範囲で確認し、記録しておくことが重要です。
【法律解説】消防法29条1項と3項は同じではない
条文 権限主体 対象 損失補償
29条1項 消防吏員・消防団員 火災が発生せんとし、又は発生した消防対象物・土地 規定なし
29条2項 消防長・消防署長等 延焼の虞がある消防対象物・土地 規定なし
29条3項 消防長・消防署長等 前二項以外の消防対象物・土地(緊急の必要があるとき) あり(時価。4項で市町村負担)
「消防法29条があるから、現場隊員ならあらゆる対象を破壊できる」という理解は避けるべきです。
本判決で横浜市が主張し、裁判所が判断したのは29条1項です。原告は請求根拠に「消防法29条による損失補償請求権」も挙げていましたが、29条3項の適用可否を独立して判断した判決ではありません。
「損害賠償」と「損失補償」は別物
損害賠償(国家賠償法1条1項)は違法な公権力の行使による損害の填補、損失補償(29条3項など)は適法な行為による特別の犠牲の填補です。本判決は国家賠償で認容しています。
【法律解説】刑法35条・37条は「破壊権限」そのものではない
刑法35条は法令または正当な業務による行為を、37条は現在の危難を避けるためのやむを得ない行為(緊急避難)を定めています。
ただし、これらは「救急隊員に他人の財産を破壊する行政上の権限を与える条文」ではありません。「29条が使えなければ刑法37条で壊せばよい」という置き換えは適切ではなく、行政上の権限の問題と、刑事上の違法性阻却の問題は分けて考える必要があります。
なお本判決は民事(国家賠償)事件であり、刑法35条・37条の成否は判断していません。
【法律解説】警察にも「別の法的根拠」がある
警察官職務執行法6条1項は、「前二条に規定する危険な事態が発生し、人の生命、身体又は財産に対し危害が切迫した場合」に、警察官が「合理的に必要と判断される限度において」他人の建物等に立ち入ることができると定めています。
ただし「急病人の内部施錠なら、警察は必ず警職法6条で入れる」という意味ではありません。要件があり、権限を行使するかは警察の判断です。また、警察が現場に来たから自動的に消防の破壊権限が生じるわけでもありません。
【法律解説】隊員個人が賠償させられるのか
本件の被告は横浜市です。国家賠償法1条1項で賠償責任を負うのは国・地方公共団体で、判例上、公務員個人は被害者に直接責任を負わないとされています。自治体から個人への求償は、故意または重大な過失がある場合に限られます(同条2項)。
【判決が言っていないこと】ここは一般化しない
「救急隊は玄関扉を壊してはいけない」とは判断していない(破壊は「真にやむを得ない行為」と評価)
室内に傷病者がいた場合の結論は判断していない(本件は不在事案)
火災や屋外の事故など「災害による事故等」の場合は判断対象外
29条3項の適用可否を独立して判断していない
緊急避難など29条以外の根拠は判断部分で検討していない
玄関扉の破壊について、どのような注意義務違反(過失)があったかは明示的に論じていない(過失を明示したのはオートロック扉)
家族・通報者の承諾の法的効果を正面から論じていない
確定した判断ではない(横浜市が控訴中)
これらを「横浜地裁が否定した」「横浜地裁が認めた」と紹介するのは正確ではありません。
【未解決の問い】病気と「けが・事故」は同じなのか
本件は新型コロナという疾病を契機とした事案でした。では、自宅内での転倒、階段からの転落、車内に閉じ込められた子ども、事故で建物から出られない人——はどうでしょうか。
この判決だけから、すべて同じ結論になるとは断定できません。
ただし条文上の手がかりはあります。消防法2条9項の「災害による事故等」は「災害により生じた事故」と「屋外若しくは公衆の出入する場所において生じた事故」です。これに対し施行令42条は、疾病と並んで「屋内において生じた事故」を「準ずる事故その他の事由」に置いています。
【筆者の考察】
判決の論理を当てはめると、自宅内の転倒など屋内の事故も疾病と同じ側に整理される可能性があり、「けがなら29条が使える」とは言い切れません。一方、屋外の車内閉じ込めは条文上の位置付けが異なり得ます。いずれも判決が判断した事項ではなく、今後の検討課題です。
類似する現場事案との比較
比較軸 横浜の事案 子どもの車内インロック 住宅内の内部施錠
要救助者の所在 不明(結果は不在) 車内に視認できることが多い 不明なことが多い
切迫性の手がかり 数日連絡なし 車内温度・経過時間 呼びかけへの反応・物音・生活反応
財産の所有者 通報者とは別(建物所有者) 現場の保護者であることが多い 居住者・賃貸人・管理組合などに分かれ得る
了承を得られる相手 親族のみ 所有者本人から直接得やすい 家族のみのことが多い
破壊対象 玄関扉(交換費22万9900円) 窓ガラス1枚など 窓ガラス・扉・錠
車内インロックは、所有者本人がその場で了承できることが多い点で、横浜の事案と構造が違います。住宅内の内部施錠は、要救助者の所在が不確実で、了承者と所有者がずれやすく、横浜の事案に近い構造です。

現場では何を見ればよいのか?
以下は判決等が示した手順ではなく、実務上の整理案です。各消防本部の規程や警察との申合せがある場合は、そちらが優先します。
1.内部に人がいる可能性は高いか
通報内容、最終接触時刻、外出予定、照明・テレビ・換気扇、郵便物や新聞の滞留、靴・車・自転車の有無、臭気、物音を確認します。
2.生命・身体への危険はどの程度切迫しているか
呼びかけへの反応、うめき声、窓越しの視認、既往歴や通報内容から、「鍵が開くまで待てるケース」と「待つこと自体が危険なケース」を分けます。
3.原因は何か
火災、ガス漏れ、災害、屋外の事故、屋内の事故、疾病、閉じ込め——事案の性質は、法的根拠を検討する出発点です。疾病については、横浜地裁判決のもとで29条1項を根拠とすることは否定方向です。
4.壊さずに入る方法はあるか
家族・管理会社・大家・管理人の合鍵、未施錠の窓やベランダ(隣室経由は安全と住人の了解を確認)、解錠業者、警察、救助隊。警察への要請は早期に並行して行います。ただし生命危険が切迫している場合に、「全部試すまで絶対に壊してはいけない」という意味ではありません。
5.誰の財産か、誰が了承したか
傷病者が所有者とは限りません。了承者の続柄と、所有者・賃貸人・管理者との関係を確認します。
6.必要最小限の方法か
どこを、どの程度、どの方法で破壊するか。扉より窓ガラス1枚、錠の周囲のみなど、損害と進入速度のバランスを考えます。
7.活動後の措置をしたか
開放した扉・窓の仮施錠や養生、オートロックなど解除した設備の復旧、警察・管理会社・家族への引継ぎ。本判決では、かんぬきを戻さなかったことが過失とされています。
8.判断の理由を記録したか
内部に要救助者がいると判断した根拠
生命危険の評価
連絡を試みた相手・時刻・結果
検討した代替手段
了承を得た相手・続柄・文言
待てないと判断した理由
破壊の時刻・箇所・方法(写真)
活動後の措置
私が必要だと思う解決策
現場隊員が最も困るのは、ドアを壊す直前になって初めて法的根拠を考え始めることではないでしょうか。各消防本部で、内部施錠事案について次の流れを平時に整理しておく必要があると考えます。
内部に要救助者がいる蓋然性 → 生命危険の切迫性 → 事案の分類 → 法的根拠・権限主体 → 所有者・居住者・家族の関係 → 代替進入手段 → 警察・救助隊との連携 → 待機による危険 → 必要最小限の破壊 → 活動後の措置 → 判断過程の記録
あわせて、組織として次の準備を提案します。
疾病・屋内事故で破壊した場合の費用負担の考え方(予算措置、保険、損失補償に関する規程の有無)を本部として整理する
管理会社・警察・解錠業者への連絡手順と連絡先を整備する
活動記録に「破壊判断」欄を設ける
撤収前チェックに「開放・解除した設備の原状回復」を加える
「何を確認すれば破壊の可否を判断できるのか」を組織で共有しておくことは、傷病者だけでなく現場隊員を守ることにもつながるはずです。
この判決は控訴中
横浜市はこの判決に控訴しています。横浜市の公表回答では、2026年7月13日時点で「控訴していて、現在係争中」とされています。2026年9月23日時点で、控訴審の判決等は公式情報で確認できませんでした。
本稿では「横浜地裁はこう判断した」と表現し、確定した最終判断としては扱っていません。
まとめ
この判決を「救急隊が玄関を壊したら賠償になる」という一言で紹介すると、本質を見誤ります。裁判所自身、玄関扉の破壊を「真にやむを得ない行為」と評価しています。
それでも、消防法上の違法性阻却が認められるか、財産上の損害を誰が負担するかという問題は別に残りました。
施錠された住宅を前にした現場では、人命を守ること、他人の財産を守ること、法律に基づいて活動することを同時に考える必要があります。何を確認するのか。誰が判断するのか。どの法的根拠を検討するのか。どこまで破壊するのか。破壊後に何をするのか。これを平時から整理しておくことが、この判決から現場が受け取るべき課題だと考えます。
よくある疑問
Q.病気でも消防法29条は使えますか?
横浜地裁は、36条8項が準用する29条1項は「疾病」により人命救助が必要になった場合を対象としないと判断しました。ただし横浜市が控訴しており、確定した判断ではありません。
Q.けがや事故なら違いますか?
判決は判断していません。施行令42条は「屋内において生じた事故」を疾病と同じ側に定めているため、自宅内のけがも同様に整理される可能性があります(筆者の考察)。
Q.家族が「壊してください」と言えば大丈夫ですか?
了承は重要な事情で、記録すべきです。ただし本件でも通報者の了承がありましたが、所有者に生じた損害について横浜市の責任が認められました。
Q.29条3項なら使えますか?
本判決は29条3項の適用可否を独立して判断していません。3項は権限主体(消防長・消防署長等)、対象、損失補償の仕組みが1項と異なるため、別途整理が必要です。
Q.刑法37条(緊急避難)があるから壊せますか?
刑法37条は刑事上の違法性阻却に関する規定で、消防隊員に財産を破壊する行政上の権限を直接与える規定ではありません。
Q.警察の到着を待つ必要がありますか?
判決は判断していません。警察の立入りにも要件があります。切迫性と待つことの危険を比較し、要請は早期に並行して行うのが実務的です(筆者の整理)。
Q.隊員個人が賠償させられますか?
本件の被告は横浜市です。国家賠償法上、賠償責任を負うのは自治体で、個人への求償は故意・重大な過失がある場合に限られます。
一次資料・参考資料
裁判所:横浜地方裁判所 令和8年5月14日判決(令和7年(ワ)第1323号 損害賠償請求事件)
横浜市「市民の声」:救急隊の活動に関する訴訟の控訴状況(2026年7月13日公表)
※最後の横浜市公式回答では、2026年7月13日時点で「控訴していて、現在係争中」とされています。
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